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琴奨菊和弘

琴奨菊和弘

日本の大相撲力士、大関 (1984-)

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要点まとめ

  • 琴奨菊 和弘 (ことしょうぎく かずひろ、1984年1月30日 - )は、福岡県柳川市出身で佐渡ヶ嶽部屋に所属した元大相撲力士。
  • 身長180cm、体重177kg。
  • 柔道の山下泰裕物語に影響された祖父の下、小学3年生で相撲を始める。
  • 祖父がつくった土俵で1日2時間の稽古を行い、隣のグラウンドでは100メートルのタイヤ引きを1時間かけて40本行い、牛乳は毎日1リットル飲み、学校にはにぼしを持参、という相撲の英才教育を受けた。
  • 幼少期から体は大きく、ソフトボールの試合には子供サイズのユニフォームが着られないため監督のものを借りて出場した。

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Wikipedia

琴奨菊 和弘(ことしょうぎく かずひろ、1984年1月30日 - )は、福岡県柳川市出身で佐渡ヶ嶽部屋に所属した元大相撲力士。本名は菊次 一弘(きくつぎ かずひろ)。身長180cm、体重177kg。得意手は左四つ、がぶり寄り。最高位は東大関。愛称はキク。既婚。左利き。締め込みの色は引退時で青色。現在は、年寄・秀ノ山。

建設会社の社長をしている父の下で、3人兄弟の末っ子となる三男として生まれる。柔道の山下泰裕物語に影響された祖父の下、小学3年生で相撲を始める。女児が欲しかった母が優しく育てたせいか、小学2年で柔道を始めたものの、女子相手に全力を出せない気弱な性格で、それを見かねた祖父が、相手が男だけで手加減なしに取り組める相撲への転身を勧めた。祖父がつくった土俵で1日2時間の稽古を行い、隣のグラウンドでは100メートルのタイヤ引きを1時間かけて40本行い、牛乳は毎日1リットル飲み、学校にはにぼしを持参、という相撲の英才教育を受けた。ソフトボールで4番打者を務めた経験もある。幼少期から体は大きく、ソフトボールの試合には子供サイズのユニフォームが着られないため監督のものを借りて出場した。そのため背番号が30という本来の少年ソフトボールではありえない事態もあった。幼少時に、地元に巡業で訪れた貴花田(後の横綱・貴乃花)の膝に乗せられて記念写真を撮ったことが相撲を続ける上での大きな励みになったという。大相撲巡業柳川場所に関しては、他にも大至伸行に胸を出してもらったことがある。小学校時代は休みを貰うにも父に伺いを立てなければならなかったが、言い出すのも難しくて殆ど頼まなかった。角界入り後、当時通っていた小学校の担任教師は「(琴奨菊と同じ相撲大会に参加した)クラスのみんなは『毎日あれだけ稽古をやっている菊次君には勝てない』と言っていたぞ」と教えてくれた。2008年に76歳で死去した祖父は、当時勝てなかった「県で一番強い宮崎君」がいた久留米市の井上道場まで車で1時間かけて週3回送迎してくれて、帰りにステーキをごちそうしてくれた。一方、大会前に精力を付けるために「グレープジュース」と騙してスッポンの生き血を飲ませる等のスポ根ドラマのようなこともしていた。小学校の卒業文集には武双山、土佐ノ海、琴錦、魁皇のような力士になりたいと書き、横綱になって明治神宮で土俵入りする夢を記した。

高知県の明徳義塾中学校に相撲留学し、朝昼晩の先輩への給仕や洗濯などの身支度は中学時代の寮生活で初めて経験した。「生きる知恵は明徳の6年間で学んだ」と本人は後に語っている。3年生となった1998年には全国中学校相撲選手権大会で優勝して中学横綱となり、その後、明徳義塾高校に進学して活躍した。中学・高校と、苦しさや辛さはあまり感じず、寧ろ「もっと強くなれるんじゃないか」という気持ちの方が大きく、在学中は福岡の両親に自ら連絡することもほとんどなかったという。高校2年になると、教員の合議で決まる生徒会長に推された。反対したのは、菊次の練習時間が減ることを懸念した監督の浜村敏之だけだった。浜村は、練習時間が確保できるよう周囲の協力を取り付けた上で生徒会長就任を渋々受け入れた。小学生のころから佐渡ヶ嶽親方の知遇を得ており、初心通りに佐渡ヶ嶽部屋へ入門した。後年になる2019年10月26日の秋巡業広島場所で、角界入りした理由について4人の小学生男女から聞かれた際に「親孝行をしたかったから」とユーモアめかして答えていた。

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