紀尾井坂の変
1878年に日本で発生した事件
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要点まとめ
- 紀尾井坂の変 (きおいざかのへん)は、1878年(明治11年)5月14日午前8時30分頃に、大久保利通と中村太郎が東京府東京市麹町区麹町紀尾井町清水谷(現:東京都千代田区紀尾井町)で、斬奸状を携えた士族6名によって暗殺された事件である。
- 「 紀尾井町事件 」「 紀尾井坂事件 」「 大久保利通暗殺事件 」ともいう。
- 中でも特に中心的存在であったのが島田一郎である。
- 杉村文一の兄である杉村寛正らも征韓論にあたり従軍願いを出している。
- しかし、これらの建白書は期待した効果を生まず、島田らは実力行使路線を採ることになる。
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Source summary
Wikipedia紀尾井坂の変(きおいざかのへん)は、1878年(明治11年)5月14日午前8時30分頃に、大久保利通と中村太郎が東京府東京市麹町区麹町紀尾井町清水谷(現:東京都千代田区紀尾井町)で、斬奸状を携えた士族6名によって暗殺された事件である。襲撃現場は正確には紀尾井坂ではなく、坂下付近(現在の清水谷公園前)である。「紀尾井町事件」「紀尾井坂事件」「大久保利通暗殺事件」ともいう。
実行犯は石川県士族の島田一郎・長連豪・杉本乙菊・脇田巧一・杉村文一と島根県士族の浅井寿篤の6名から成る(脇田は暗殺にあたり罪が家におよぶのを恐れて士族を辞めて平民になっていた)。中でも特に中心的存在であったのが島田一郎である。島田は加賀藩の足軽として第一次長州征伐、戊辰戦争に参加しており、明治維新後も軍人としての経歴を歩んでいたが、征韓論に共鳴しており、明治六年政変で西郷隆盛が下野したことに憤激して以後、国事に奔走することになる。
杉村文一の兄である杉村寛正らも征韓論にあたり従軍願いを出している。さらに台湾出兵にあたっては杉村・長らは再び従軍願いを出しており、台湾出兵中止の噂に対する反対の建白書や佐賀の乱の処理を批判する建白書には杉村寛正・島田・後に斬奸状を起草する陸義猶(陸九皐)が名を連ねている。しかし、これらの建白書は期待した効果を生まず、島田らは実力行使路線を採ることになる。1874年(明治7年)に島田と長は東京で会い、意気投合している。
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