黒須陽一郎
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要点まとめ
- 黒須 陽一郎 (くろす よういちろう、1967年5月1日 - )は、東京都出身の元野球選手(外野手)。
- 2回戦でチームは東洋大姫路高に敗れたものの、この試合で豊田次郎から3ランホームランを放っている。
- 外野手に転向して1年目の1986年からレギュラーとして活躍し、1年秋のリーグ戦でベストナインに選出された。
- 同年秋季リーグでは「優れたキャプテンシーを発揮して」チームを支え、23年ぶりのリーグ戦優勝に貢献した。
- また同年は日米大学野球の代表にも選ばれ、第1戦で本塁打を放っている。
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Source summary
Wikipedia黒須 陽一郎(くろす よういちろう、1967年5月1日 - )は、東京都出身の元野球選手(外野手)。右投右打。
立教高では、2年次の秋から野球部の主将となり、3年次の1985年には4番・遊撃手として同校初となる夏の選手権に出場。2回戦でチームは東洋大姫路高に敗れたものの、この試合で豊田次郎から3ランホームランを放っている。
高校卒業後は、系列の立教大学に進学。外野手に転向して1年目の1986年からレギュラーとして活躍し、1年秋のリーグ戦でベストナインに選出された。4年生時の1989年になると主将を任され、春季リーグでは三番・中堅手として大森剛(慶應大学)との争いの末に本塁打王を獲得し、2度目のベストナインを受賞した。同年秋季リーグでは「優れたキャプテンシーを発揮して」チームを支え、23年ぶりのリーグ戦優勝に貢献した。また、自身3度目のベストナインに選出されている。また同年は日米大学野球の代表にも選ばれ、第1戦で本塁打を放っている。大学通算でそれぞれ当時としてリーグ歴代10位タイ、7位タイにあたる15本塁打、65打点の成績を残した。90試合に出場、338打数92安打、打率.272。
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